よりよい白血病治療のために
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JALSGの歴史

JALSGとは

 JALSG(日本成人白血病治療共同研究グループ)は1987年に設立された多施設による白血病臨床研究グループです。 より良い診断・治療法を開発し、白血病など造血器腫瘍の治癒率ならびに治療の質を向上させることを目指しています。 2014年2月現在、国内229施設が参加しており、多くの医師、研究者、医療従事者らが参加・協力しています。

JALSGの歩み

 EBM(evidence-based medicine)に基づく治療の重要性は論を俟たないが、エビデンスを創る臨床研究は、倫理性のある臨床研究を科学的に施行することである。科学的とは研究の結果導かれる成績に客観性があり、統計学的にみても十分信頼されうる質を備えていることを意味する。そのためには十分数の症例を事前登録し、かつプロトコールに書かれた通りの治療を施行しなければならない。十分な症例を集めるためには、全国的な多施設共同研究が必須である。

 1970年代後半より成人急性骨髄性白血病(AML)においては高率の完全寛解(CR)が得られるようになり、名大ではBHAC-DMP療法により80%前後のCRと%で表しうるような治癒率が得られるようになった。その後、BHAC-DMP(II)療法、M-85療法と改良を重ね、寛解例の5年生存率を40%前後に上げることが出来るようになった。しかし、名大とその関連病院で治療出来る患者数は限られており、1978年から開始したBHAC-DMP療法は日本発の臨床研究として始めてJ Clin Oncol に掲載されたものの、1985年から始まったM-85療法では、前者よりも良い成績を出したにもかかわらず、単施設からの少数例では世界は認めてくれず、Int J Hematolに掲載されるに留まる時代へと変わっていた。

 戦後のがん臨床研究は米国を中心に発展して来たが、経済力をバックにして国立がん研究所がサポートした幾つかの多施設共同研究グループが大規模な臨床研究を行ってきたことが最も大きな理由であった。これらに加え、英国のMedical Research Council (MRC)と仏語圏のEuropean Organization of Research and Treatment of Cancer (EOTRC)が多施設共同研究を行い、これらから報告される成績が世界の臨床腫瘍学をリードしてきた。ところが80年代半ばより、上記の戦勝3国に加え敗戦国である西ドイツが小児・成人白血病の全国レベルの共同研究の成績を報告し始め、国全体をまとめたことによる多数例という迫力もあって、成人・小児共に白血病治療領域で一気に世界のトップレベルにおどり出てきた。

 そして1987年2月ローマで開かれた第4回国際白血病治療シンポジウムにおいては、イタリアも初めて全国レベルの共同研究の成績を発表した。米国は勿論のこと、西ドイツ、英国、フランス、イタリア等が化学療法や骨髄移植療法における全国規模のグループ研究による百~数百例単位の成果をつぎつぎと発表し、その質の高さと成績には目を見張るものがあった初めてこの種の国際シンポジウムに出席した私は日本の立ち遅れに愕然とした。そこで、このシンポジウムに出席していた長崎大学の朝長万左男先生らに呼びかけ、学会の最終日の夕方ローマ市内のレストランに集まり、この遅れを取り戻すには日本でも全国レベルの成人白血病治療共同研究グループを作らざるを得ないと語りあった。

 帰国後、日大の大島年照先生を加えた三人が発起人となって、白血病治療をメインな仕事としている施設に呼びかけ、1987年4月 Japan Adult Leukemia Study Group (JALSG) が組織された。発起人は当時40代半ばと若く、日本で初めての成人白血病の共同研究グループを成功させることが出来るかどうかは不安であった。ただし、今やらなければ世界からますます取り残されてしまうとの思いは強く、首を洗っての必死の覚悟で設立にこぎつけた。

 当初14施設で始まったJALSGだが、日本の諸般の事情を考慮し、最初の呼びかけ以外は、勧誘を一切しなかった。しなかったというより、できなかったというのが実状だった。
設立時に配慮したことは、

(1)民主的に運営すること、
(2)そのため全員参加の定例総会を最高決定機関として全員の意見を取り入れる。
(3)日本からも白血病の治療成績を世界に向かって発信する。
(4)したがって、発表の場を英文誌ならびに国際的学会に限定し、国内ではシンポジウムなどの
  特別企画のみとし、グループ名は英文とする。
(5)共著者は教室の責任者ではなく、プロトコール治療の実質的責任者とする。
(6)安易にメーカーなどに援助を要請することなく手弁当でがんばる、
などであった。

 1988年に私が厚生省がん研究助成金の白血病研究班の班長に任命され、班員・班友がJALSGに参加したため23施設に拡大した。追風も吹いていた。一つは顆粒球コロニー刺激因子(G-CSF)であり、二社が国産品を世界と同時期に開発しており、大野班で世界に先駆けてG-CSFによるAMLの化学療法後のランダム化比較研究を行なった。その結果は、1990年にNew Engl J Medに掲載されたが、当誌に掲載された最初の日本発治療研究論文であった。

 もう一つは、レチノイン酸(ATRA)による急性前骨髄球性白血病(APL)の分化誘導療法である。1988年に上海グループは活性型ビタミンA であるATRAを使用し、23例の急性前骨髄球性白血病(APL)で96%のCRを得るという驚くべき成績を報告した。当初はその余りにも高い有効率のために十分信頼されていた訳ではなかったが、1990年6月に名古屋で開催された日中血液学会合同会議で、Wang教授が76例の初発・再発APLにおいて88%のCRを報告した。私は試みる価値はある治療法であると確信し、Wang教授から薬の供与を受け、再発・難反応性のAPLを対象とした臨床研究を開始した。3例目がCRに到達し、またたく間に100例以上が集積され、驚異的な有効性を確認した。この経験に基づき、1992年未治療例を対象としたAPL92 studyを開始した。JALSGに参加すればATRAが使用できるという思惑もあってか、このころより参加施設が急増した。ATRAは1994年末に先進国で最初に認可を受けている。

 APL92の中間成績は1995年にBlood誌に掲載され注目を集めた。その他、別項の業績集にあるように、1993年にCancer誌に掲載されたAML87 studyの成績やBlood誌に掲載されたATRAによる骨髄異形成症候群の治療成績、1994年にBlood誌のAMLでのG-CSFのpriming効果をみた二重盲検研究、1995年にBlood誌に掲載された慢性骨髄性白血病におけるインターフェロンとブスルファンの無作為比較研究の成績などが次々と発表された。

 日本の治療研究の成績が国際的一流誌を通して発信され、かつ総説やメタアナリスにも引用もされているという事実は、日本の若手臨床研究者に勇気と自信を与えたものと信じている。JALSGに参加して自らもエビデンス創成に貢献しようとする臨床研究者、特に若手医師が増え、JALSG参加施設数は確実に増加して行った。組織の拡大がもたらした功績の一つに、
日本全国の白血病治療レベルを向上させたこともあげられる。EBMという言葉のなかった時代からJALSGは期せずしてエビデンス創成を目指した臨床研究を遂行してきたが、日本人患者を日本の医師が日本の医療システムの中で治療して得られた成績が、日本人患者を治療する際に最も信頼できるエビデンスとなることは確かである。JALSGが今後も益々組織を拡大し、信頼できるエビデンス創成に貢献することを期待している。


                                      愛知県がんセンター名誉総長  大野  竜三